第36話 気づいたこと

ひとまず今年の夏野菜の種まき、苗植えは終了。

エダマメ、トマト、ナス、ピーマン。カボチャにズッキーニ、オクラ、サツマイモ…。エダマメ、トマト、サツマイモは品種の違うものをいくつか。

あとは大きくなっていく様子を見ながら、朝夕の水まき、芽かき、雑草取り、頃合いを見はからって肥料をまいたりと、また天気とにらめっこをしながらの農作業の日々。

とは言っても、自分の中での繁忙期は峠を越えたので、ここ最近のちょっとしたスキマ時間は散歩やジョギングにいそしむようにしている。なんとも健康的な生活!

私の暮らすところは畑や田んぼの広がる田園地帯。田んぼのあぜ道を散歩することもあるし、川沿いのジョギングコースにはあちこちで農作業をする方の姿が飛び込んでくる。

いろいろな野菜の植わっている畑の間を走るのも心地がいい。朝夕の涼しい時間、緑に囲まれた中で歩いたり走ったりするのは、東京にいたころは経験できなかったことだ。

最近の散歩の楽しみは、ほかのお宅の畑を観察しながら歩くこと。

「ここんちのカボチャは大きくなっているな~」「この畑ぜんぶエダマメが植えてある!」「これはトマトだな、キュウリだな、ピーマンだな、ナスだな…」

視界一面に広がる農家さんの見事な畑。家庭菜園を楽しんでいるお家の庭には、ミニトマトが青く小さな実をつけている。その光景もなんとも可愛らしく、ほほえましい。

そんな光景を目で楽しみながらポテポテ歩いていると、あることに気がついた。

「野菜の葉っぱを見ただけで、それがなんの野菜かわかる自分がいる!」

農家の人にとっては、それは当たり前のことかもしれないけれども、あちこちの畑に伸びる葉っぱを見ただけで、それがトマトなのか、ピーマンなのか、わかるようになっていたのだ。

きっと農業に携わっていなければ、歩いていても走っていても見過ごしていた景色だろう。農業をやっていたからこその“気づき”が、そこにはあった。

目を開けていても、見過ごしていることのなんと多いことか。

散歩を終え帰宅してみると、玄関先のアスファルトの隙間に、雑草が生えているのに気がついた。そんな雑草のびるアスファルトの隙間から、他とは違うひょいと伸びた一本の芽。

「これは…?トマトか?」。

去年プランターで育てたトマトの実が落ちて、その種がアスファルトの隙間から芽を出してきたようだ。

これは世に言う『ど根性トマト』か…。気になるから、ちょっと様子を見てみよう。

(2021.07.02:コラム/遠藤洋次郎)