第50話 長靴の思い出

 今年の春に買った農作業用の長靴に穴が開いてしまった。

 ホームセンターにずらりと並んだいろんな種類の長靴。その中でも今回は中ぐらいよりちょっと高めの長靴を買ってはいていたのだけれども、残念ながら1年もたなかった。

 ぬかるんだ畝の中を歩いてみたり、暑い日も寒い日も、風雨にさらされても耐えてきた長靴は、確かに消耗品なのかもしれない。

でもこの1年、ともに土の中で戦った戦友みたいなものだ。

 劣化が早いのは、屈伸したりして長靴に皺のよるところ。足首のところだったりつま先のところだったり、負荷のかかるところは生地の損傷が激しい。

 はじめは穴の開いていることに気がつかないのだけれども、水を撒いているときに靴下が濡れていたり、長靴を脱ぐと土や砂がポロポロと落ちてきたりすると、どこかに穴が開いている。調べてみると小さな亀裂が数か所できていた。

 穴あきの長靴には苦い思い出がある。

 田植えをする前のまだ冬の寒い時期。近所の農家さんたちといっしょに田んぼに水を引く用水路の清掃をする。用水路に投げ込まれたゴミを拾い上げ、大きなスコップで用水路の中のヘドロや土をかき出していくのだ。

 小雪の舞う季節だった。

 大きなスコップを持って用水路に行き、水の残る用水路の中に足を踏み入れた瞬間、冷たい水が長靴の穴から入ってきて靴下に染みてきた。

 長靴に穴が開いていることなど気づかなかった。よく見るとホントに小さな穴が開いていて、そこから冷たい水が流れ込んできた。

 靴下は濡れ、長靴の中にどんどん水が溜まっていく。

「冷たい冷たい冷たい……」

念仏を唱えるかのように唇を震わせながら、

「よし、今日はこのへんで止めにすっか!」

と言う、リーダーの号令がかかるのをじっと待つほかなかった。

「今年もご苦労様でした~」

と言いながら清掃の後はあったかい缶コーヒーで労をねぎらい、田植えのシーズンに思いを馳せる。しかし、このときばかりは缶コーヒーのぬくもりなど微々たるもの。用水路の水の冷たさに足の指さきの感覚もマヒしている。

『風呂に入りたい。湯船に飛び込んでいきたい!』

 帰宅してお風呂に浸かった時に、足先に血が流れていくのを感じた。

 少なくとも用水路の清掃の前には、新しい長靴を用意しておこうと思う。

(2021.11.05:コラム/遠藤洋次郎)