第1話 蒔かぬ種は生えぬ

この歳になって、畑を耕すことになるとは思わなかった。

20年前のようじろう青年に、
「君は20年後にクワ持って畑耕してるよ」
と伝えたところで、
「そんなことするわけないじゃん」
と笑って答えるに違いない。

ハクサイ、キャベツ、ダイコン、ニンジン、カブ、ホウレンソウ。
今の時期、僕は、これらの野菜の生長を見守っている。

本音を申せば、農業をやってみたいと思ったこともなければ、これまでも農業に携わったこともない。
土をいじったことがあるのは、小学生の頃のアサガオくらい。
それだって、観察日記を書かなきゃならないからしょうがなく育て、夏の旅行から帰ったら全部枯れていた。
なんだか切ない観察日記を提出したような気もする。

農業に対するイメージだって
「キツい」「汚い」「朝早い」
のマイナスのものばかり。
思い描いていた人生の青写真に『農業』というワードはこれっぽっちもなかった。

そこに訪れた人生の転換期。

やむにやまれぬ事情があって、昨今問題になっている、耕作放棄地を何とかしなきゃならないということもあって、
「えー・・・じゃあ、ちょっと土いじるだけですよ」
と、砂場遊びセットのようなスコップとバケツを持って、雑草ばかりの畑に行った。
それはまるで、
「えー・・・じゃあ、ちょっと一杯飲むだけですよ」
と、知らない土地の、怪しいスナックに連れていかれた気分であった。

それがどうだろう。
今朝もハクサイに
「おはよう」などと声をかけている。
「くたばれ、このアザミウマーーーー!」
と、害虫の知識も増えた。
『ちっ素』『リン酸』『カリウム』
なんて言葉を、中学生の理科の勉強の時以来口にしている。

農作業が楽しいか?
と問われれば、今もまだ何とも言えない。
楽しいと思うこともあるが、もちろん辛いこともあるし、メンドクサイと思うこともある。
ちゃんと育てられるか、ちゃんと稼げるのか?
このあたりも不安定だ。

『蒔かぬ種は生えぬ』

とにかく、まず種を蒔かなければ始まらない。
やってみなけりゃ分からない。
チャレンジすることにちょっと臆病にもなるお年頃。

でもこの歳になって改めて
「やってみなけりゃ分からない」ことを始めたことは、「何とも刺激的な体験だなぁ…」と、
野菜を眺めながらしみじみ思ったりもする。

(2020.10.23:コラム/遠藤洋次郎)