第7話 忘我の境地

間引きの作業はなかなか好きになれないが、一連の畑仕事の中で好きなのは、耕運機をかけているとき。

ウチの農園では、夏野菜の収穫に向けて春に畑を耕す。
雪の季節が終わり、降りそそぐ陽射しが少しずつ暖かくなり、土も乾いてきた頃。雑草を刈って、鍬を動かし、そして耕運機を使って一気に耕す。
農園の土は固いので、何度か耕さなければならない。

ちなみに「耕す」。
新潟では「ぶつ」というらしい
なので、以後「耕す」ことを「ぶつ」と言うことにする。

耕運機の動くペースでゆっくり畑に入り、土をほじくり返していく。
ハンドルを操作し、端っこまでぶったら折り返して戻って来る。
この時間、完全に「忘我の境地」すなわち「アタマの中がカラッポ」なのだ。
悩んでいたことも、気にかけていたことも、今日の夕ご飯のことも、すべてが忘却の彼方に行ってしまい、魂は抜け、肉体はただ耕運機のハンドルを握るのみ。
もちろん、ハンドル操作を誤ってはいけないが、足元を見つめ、進むべき先を見つめ、ゆっくりと、慎重にぶっていく。耕運機が回るエンジンの振動も心地よい。

ぶっていきながら、立ちのぼる土のかおりを嗅ぐ。
このかおりを胸いっぱいに吸い込んでいく。
すると、心の中のモヤモヤも消え、すがすがしい気持ちに包まれる。
農園の土をぜんぶぶち終えたときの達成感もまた格別だ。

「ここにトマトを植えよう。」
「ここにはトウモロコシを植えてみよう。」
「エダマメの畝はここに作ろう。」
そんなことを思い描きながら、ぶち上げた土を見つめる。
(「ぶち上げる」という言葉があるのかどうかは知らない。)

同じ耕運機を使って畝づくりもする。
まっすぐに延びる畝をつくりたい。このとき、先の目標に向かって、ゆがまないよう慎重に耕運機を動かしていく。
邪念が入ると畝は曲がってしまう。
余計なことを考えると、ハンドルは右にとられ左にとられ、くねくねした畝になってしまう。
心を無に、アタマをカラッポに、ただ一心、畝をまっすぐ作ることに専念すればよい。

できあがった畝をぜひ見てほしい。だいぶ曲がっている。

(2020.12.04:コラム/遠藤洋次郎)