第26話 計算ができない

どうしても除草剤や殺虫剤を畑に撒かなきゃならない。

どこから種が運ばれてくるのか、気がつけば畝にはいっぱいの雑草が生えているし、農作業は害虫との闘いでもある。

そこで市販の除草剤や殺虫剤を購入するのだが、この薬剤は水で薄めて使用する。

ではここで問題。


<問題1>

除草剤Aは、水で50倍に薄めて使います。30坪の畑に、100ミリリットルの除草剤Aを薄めて使うとき、水は何リットル必要になるでしょうか。

<問題2>

問題1で使用する除草剤Aの水溶液を、100坪の畑に撒くとすると、除草剤Aは何ミリリットル必要になり、また希釈する水の量は何リットルになるでしょう?

<問題3>

1坪は3.31㎡である。では除草剤Aを10㎡の畑に撒くとしたときの除草剤Aの量と水の量を求めなさい。


脳みそパーーーーン!である。

学生時代、数学赤点のこのワタクシに、文学部志望だったこのワタクシに、希釈して何リットルの溶液を作るのかなど瞬時に答えられるわけがない。紙と鉛筆があったって、正解を導き出せるかどうかわからない。

薬剤のボトルに記載された「使い方」を眺めながらも、頭は真っ白。思考は停止している。

「とりあえず…問題1の100ミリリットルの除草剤に水を…この場合は5リットルでいいのか?さて…ええっと…この畝は坪数で言うと何坪になるんだ?ちょっとまて、1リットルって何ミリリットルだったっけ?」このレベルである。

水溶液が薄いと効果は少なくなるし、濃すぎると畑への影響も

大きい。その“ちょうどいい量”を作り出すことに躍起になって、「あ、水の量が足りない、もっと増やそう」「しまった薬剤を入れすぎた!」などと悪戦苦闘を繰り返しながら、メモリの付いたバケツとにらめっこしている。

できあがった水溶液は噴霧器に入れ散布する。

その昔、容量20リットル、肩にしょって使うタイプ噴霧器を使っていたのだが、何を思ったのか、噴霧器満タンに殺虫剤の水溶液を作ってしまった。

水1リットルはおよそ1キログラム。

両肩にのしかかる20キロの重さに耐えきれず、その日私は、腰を痛めた。

(2021.04.23:コラム/遠藤洋次郎)

第25話 背後で奴らが狙っている…

いよいよ種まき、苗植えのシーズン到来!

春の陽気に包まれて、畑に吹く風も心地よい。体も動くし、かく汗も気持ちいい。
畑を耕しながら、ここにエダマメの種をまいて、ここはトマトの畝だな。この辺にナスを植えて、そうそうオクラはここに、と夏の収穫に思いを馳せる。

実は、畑にまいた種の全部が全部芽を出すわけではない。
なので、ある程度育てた『苗』をつくって、それを畑に植え替える。

園芸店に行くとトマトやキュウリの苗が売られているが、ある程度育っているので、芽を出すまでの面倒を見なくてもいいし、「芽が出るのかなぁ?」という心配もいらない。根付いてしまえばその後の管理も楽になる。

私も今、トマトの苗を作っている。

ポットに土を入れて種をまき、水を撒いて、じっと様子をうかがう
種をまいてから10日くらいたった頃、ようやく小さな芽が出てきた。

この芽が出てくるまで、心配な日々が続くのだが、土の中から小さな緑が顔をのぞかせてくると、思わず顔がほころんでしまう。

土いじりをしていると、こんな小さな変化がうれしい。

以前、エダマメの苗をつくろうと、種をポットに入れて日の当たるところに出しておいた。

エダマメの種はつまり、大豆である。

ポットの中で水を含んだ大豆が、栄養を吸い取り、あたたかな土の中に包まれて、やがて芽を出し根を張って、葉っぱを広げて、頃合いを見て畑に移し替える。

ひと通り育苗ポットにエダマメを植えて、ちょっと用事を足しに…と畑を離れた。

離れた時間は30分くらい。

用事を終えて畑に戻って来ると、なにやら、エダマメポットのまわりが騒がしい。

「ピーピーチュンチュン」聞こえてくるのは鳥のさえずり。

「ああああ!」思わず叫び声をあげる。

ポッドに植えたばかりのエダマメの種を、鳥たちがついばんでいるのだ!
エダマメの種と言っても、ポッドの中に入っているのはふやかした大豆である。
水を含んで柔らかくなった美味しい豆である。油断も隙もあったもんじゃない。

今年もエダマメの苗を作ろうと思っている。
苗づくりの作業をしている私の背後にいる数羽の鳥たち。

その姿はヒッチコックの映画『鳥』を彷彿とさせる。

(2021.04.16:コラム/遠藤洋次郎)

第24話 調理してしまえば

はからずも、ひと冬超えてしまったハクサイとブロッコリー。

気候も穏やかになり、春の日差しが降りそそぐようになったころ、白菜は丸くなることはなく、大きく葉を広げ、菜の花のような黄色い花を咲かせていた。ブロッコリーも放置して育ちすぎたのか、ボンバーヘッドなアフロのようになってしまっている。

さてどうしたものか。

農園の参加者が集まって、みな一様に頭をひねる。

「食べられるのか?」

不思議に思うのも当然だ。だって、スーパーに行っても青果店に行っても、こんな姿のハクサイやブロッコリーを見たことがない。

「食べてみましょうか…?」

おもむろに参加者の一人がそう言うと、ハクサイ(らしきもの)とアフロなブロッコリーの収穫が始まった。

かごいっぱいになったハクサイ(らしきもの)とアフロなブロッコリーを持ち帰ってもらったのだが、参加者のみなさんはどんなふうにして食べたのだろう。

我が家ではハクサイ(らしきもの)の葉っぱの部分と花をつけそうな先っぽのやわらかな部分とを刻んでオリーブオイルで炒め、茹でたパスタに和えてみた。

味付けは簡単な塩コショウ。

するとどうだろう。葉っぱの部分の食感は間違いなくハクサイであり、炒めたことによって花の部分の黄色が鮮やかになり、お皿に盛りつけたパスタに見事な色合いを加えていた。

一方、アフロなブロッコリーは細かく刻んで、ポトフ風に煮込んでみた。

固形のコンソメを入れ、ニンジン、タマネギ、ベーコンなどといっしょにじっくりと煮込む。

するとどうだろう。ブロッコリーはホロホロの食感になり、口に入れた途端に溶けてなくなってしまった。そして、寒い雪の下でじっと耐えていたからか、甘みが増していて、一口食べると野菜の旨みがスーと鼻を抜けていく。

「あれ?これ…美味しい!」

昔から食レポが苦手なのでこの味わいを表現するいい言葉が出てこないのだが、見た目や形がハクサイのそれでなくても、味はしっかりとしたハクサイだし、甘みを増したブロッコリーは煮込んだことでさらに風味を増したような感じがする。

どんな姿の野菜であっても、切って刻んで、煮て炒めてしまえば美味しく食べられる。

うちの農園の収穫の基準は「おいしそう」よりも「食べられそう」になっているような気がしてならないが、まぁ…それも…食品ロス問題の解消、と言うことにしておこう。

(2021.04.09:コラム/遠藤洋次郎)

第23話 ラジオの生活はつづく

4月に入り、本格的な畑シーズンがスタート!今年も夏野菜の収穫に向けていろいろな野菜を作っていきます!

暑すぎず、寒すぎずちょうどよい気候。晴れの日は麦わら帽子をかぶって、いざ畑へ!

でも喜びいさんで畑に行っても、平日の畑仕事は自分一人。正直なところ、誰ともしゃべらず黙々と、一人で鍬をふるっていてもなんだか寂しい。

ご夫婦で畑仕事をしていたり、家族総出で畑の準備をしていたりする光景を目にすると、ちょっとだけうらやましく感じてしまう。

決して一人が嫌なわけじゃない。でも、ふとした瞬間に、何とも言えぬ寂莫とした感じを覚えるのだ。

そんな時、心のよりどころになっているのがラジオである。

スマートフォンのラジオアプリを起動させ、「どうで一人だし、お隣さんに迷惑かけるわけでもない」とイヤホンをつけずに放送を楽しんでいる。

パーソナリティのおしゃべりが、ふとした瞬間に襲う寂莫とした感じを忘れさせてくれる。

そんな私も、ラジオの中の人だったわけで、おしゃべりをしながら、「僕の声を聴いている人は今何をしながら聴いているんだろう?」と思うことがよくあった。

朝の番組をさせていただいたときは、「今、出勤の車の中で聴いている人が多いのかな?」夕方の番組のときは、「帰りの時間かな?まだ仕事中かな?」深夜放送を担当していたときは「トラックやタクシーの運転手が聴いているかもしれない」などと、思いを巡らせながらしゃべっていた。

農家の方からもメッセージをいただいた。

「収穫しながら聴いています」「出荷の準備をしながら聴いています」「今日は暑かったので、晩酌はキンキンに冷えたビールをいただきます」などなど。

「今日も一日お疲れさまでした」とコメントを返していた農家の方からのメッセージだが、ふと思う。やっぱりみんな畑仕事をしながらラジオを聴いて、寂しさを紛らわせていたのかな?と。

そうでなくても、きっと畑仕事をしている皆さんに、ラジオは寄り添っていたのじゃないかな?と。

あと、ラジオを聴いていると作業の効率が上がるような気がする。おしゃべりや音楽を聴いているとテンションが上がって、作業がサクサク進む。

残念ながらラジオの仕事からは離れてしまったけれども、ラジオからは離れられない生活はまだまだつづく。

(2021.04.02:コラム/遠藤洋次郎)

第22話 ビールの誘惑

先日、畑の準備を…と土をほじくり返していたところ、出るは出るは!大量のナメクジ!しかも丸々と肥え太り、中には子どもの親指くらいの大きさのものもいる。

ナメクジが飛び出てくるたびに、「うわっ!でかっ!ええ!?ここにも?」と声を上げてしまう。土の中でぬくぬくとしていたナメクジどもがうごめいている。一匹ずつ指でつまんでは「えいっ!」と放り投げた。

ナメクジは悪食なので、畑のものは何でも食べてしまう。ようやく小さな芽を出した作物も、瞬く間にかじりついてダメにしてしまうのだ。

土づくりの工程の一つに、害虫の駆除がある。

害虫たちが悪さをする前、まだ卵や幼虫の時に対処しなければならないのだが、全部が全部駆除できるわけではない。なるべくなら農薬は控えたいし、そうかといって一つ一つ、それこそしらみつぶしにつぶしていくのも面倒だ。

種や苗を植えつける前に、まずはこのナメクジを何とかしなければならない。

ナメクジには塩をふりかければいいともいわれるが、畑に塩をまくことはできない。土の中の塩分濃度が上がってしまい、成分のバランスが崩れてしまうのだ。もちろんナメクジ駆除に特化した市販の殺虫剤を購入し畑に撒くという手もある。

他に何かいい手はないものか、といろいろ調べていく中で見つけたのは、ペットボトルにビールを入れた「トラップづくり」。そう、罠を仕掛けるのだ。

ナメクジはビールのにおいが好きらしく、ビールのにおいに誘われて、ペットボトルの中にポトリと落ちる。やがてナメクジはビールに海に溺れ死んでしまうという寸法だ。

作り方を見てみると『ペットボトルを半分に切り取って、中に飲み残しのビールをその中に入れ、畑に設置する。簡単に作れるので、ぜひやってみてください』と書かれてあった。

「ちょっと待て!ビールを飲み残すことなどありえない!注がれたグラスはカラにするのが私のモットーだ。ナメクジにくれてやるビールなど我が家にはない!」

「まったく。ビールを好むなんて、なんて贅沢な奴だ」と憤りを感じながら、晩酌用にと冷蔵庫に入れてあったビールを一缶取り出してみた。すると、さらにその奥に、何か月も入れたままのビールがチラと顔をのぞかせた。手に取ってみると、あらら賞味期限が切れている。

「待てよ?賞味期限が切れているビールならば、イケるか…?」

さあさあナメクジたちよ。春の宴とまいろうか。互いにビール好きとは気が合うじゃないか!ともにビールをあおり、この春を謳歌しようぞ!

私は悪魔の笑みを浮かべながら、空いたペットボトルにハサミを入れ始めた。

(2021.03.26:コラム/遠藤洋次郎)

第21話 サツマイモのスゴさ

春分の日。暦の上では春である。陽射しは春だけれども、まだ風はちょっと冷たい。

先日、耕作放棄地になってしまった畑に耕運機を入れてみた。

雑草だらけで、土も固く、耕運機の操縦もままならない。それでも何とか土をほじくり返すと、冬眠中であったのかもしれない、カエルが一匹ぴょこんと飛び出してきた。

こんなにカチカチの土の中でもいろんな虫たちもいたらしく、ほじくり返したそばから鳥たちがやってきて、なにやらついばんでいた。

さて、今回耕したこの畑で、今年は「サツマイモ」の苗を植えてみたいと思う。

というのも、サツマイモが非常にエンターテイメント性の高い作物だと考えているからだ。

幼稚園に通っていたころ、近所の畑に芋ほりにでかけた。

土の中からサツマイモの赤紫の肌が見えたとき、お宝を見つけたような感動があり、小さな手で土をかき出していくと、大小さまざまな芋がいくつも出てくる。

「うわぁ!サツマイモだ!」と無邪気に喜んでいたあの頃。芋ほりは宝さがしにも似た興奮が味わえる。そう、今年はサツマイモづくりを通して、この興奮を味わいたい!

サツマイモは何と言っても、栽培するのに手間がかからない。

肥沃な畑ではなく荒れたところでも十分に育つところも心強い。

その昔、日本を襲った飢饉の救世主であったことも忘れてはならない。

もちろん栄養もたっぷり。デンプンを多く含み、ビタミン、カルシウムも豊富。そして食物繊維を多く含んでいてお通じにもいい。

食べ方もバリエーションが多く、そのまま焼いたり蒸かしたりするだけで食べられる。

ご飯に混ぜてもいいし、味噌汁の具にもなる。カラッと揚げたサツマイモの天ぷら、大学芋。旬の時期にはサツマイモのモンブランと言ったスイーツもケーキ屋さんの店頭に並ぶ。

さらには、芋焼酎という美味しい酒にもなるのだから、サツマイモのポテンシャルは高い。

ちなみに、サツマイモにもいろいろな種類があって、代表的なものにホクホク系の「ベニアズマ」、しっとり系の「べにはるか」がある。

「べにはるか」はじっくり寝かせるとしっとり系からねっとり系に代わっていき、糖分が増えてより甘みが増す。今年はぜひ、この「べにはるか」をたくさん収穫してみたい。

(以下、ここからまたワタクシの妄想)

そして僕は、はるかとの甘い時間を過ごすのだ。ねっとりとからみ合う蜜月のひと時。

「はるかさん…僕は君とこうして(食べて)いる時間がとても幸せなんだ……ああ、はるか」

いかんいかん。エダマメが嫉妬してしまう。

(2021.03.19:コラム/遠藤洋次郎)

第20話 『土づくり』が8割

種をまけば、植物はやがて芽を出し花を咲かせ、勝手に実をつけるものだと思っていた。

「あとはテキトーに水をまいていれば、何とかなるでしょう」

小学生の時に育てていたアサガオもヒマワリも、そんな感じで大きくなっていた。だからなのか「農作物を育てるのなんて余裕じゃない?」なんて気持ちもあった。

浅はかだった。

その裏では園芸屋さんが良い種を選び、良い土を準備していたことなど想像もしなかった。

ここで言う良い土とは、ほどよい軟らかさで、通気性が良く、養分も十分に含んだ土。野菜たちが大きくなるのに欠かせない環境と条件が整っている土のことである。

農家のスタートはまずこの『良い土』を作るところからはじまる。

作物の出来はこの『土づくり』で決まるといっても良い。近所の農家さんも、

「土づくりがちゃんとできれば8割は大丈夫。一番大事なのは土だね」と言っていた。

「で?その土づくりってどうするの?」「テキトーに肥料まいて耕せばいいんじゃない?」

この考えも浅はかだった。

土づくりはコレという決まったマニュアルがあるわけではない。野菜ごとに適した土壌というものがあるし、肥料が多すぎるのも問題。土の硬さも畑によってさまざまだ。

土づくりの仕方だけでも一冊の本ができてしまう。たまに読んでいる園芸雑誌も「土づくり特集」が組まれると、土だけで何十ページにもわたって紹介されている。

それだけ手間のかかることだし、奥の深いことだし、農家の皆さんも頭を悩ませている。

園芸雑誌を購入し目を通してみたが、正直なところ読んでいるだけでも

「うへぇ~土づくりってこんなこともするの?めんどくせ~」と声が漏れてしまうほどだ。

『段取り八分、仕事二分』という言葉がある。

これは事前の準備をあらかじめ終わらせておけば、仕事の8割は完了しているという意味で、僕自身もラジオ番組やイベントの仕事に携わるときに、よくこの言葉を耳にし、事前の準備に多くの時間をかけていた。

この言葉はもちろん農業にもあてはまる。

農家さんの言った「土づくりがちゃんとできれば8割は大丈夫」という言葉もまさにそれ。

種をまく前に、苗を植える前に、しっかりとした土づくり。

事前の準備を怠ってはならない。

春の息吹感じる季節。鍬を持って畑へ出かける。雑草広がる畑を目に、思わず声が漏れる。

「うへぇ~これ全部耕すの?めんどくせ~」

……もう一度言おう。この時期の事前準備を怠ってはならない。

(2021.03.12:コラム/遠藤洋次郎)

第19話 実録!農業検定

10回目のコラム『この冬の挑戦』で、農業検定1級の試験を受ける予定だというようなことを書いていた。結果については後日改めて、という伏線を回収しなければならない。

試験を受けたのは2021年1月6日。

実はこの検定試験、試験の日時と場所を自分で選択することができる。試験を受けられる期間が設けられていて、自分のスケジュールに合わせて「この日、この場所で試験を受けます」と、申し込みの時に申請する。

きっとこのお正月もダラダラと過ごすんだろうな……そんな思いを打ち破るべく、試験日は正月明け早々に。試験時間も頭が回り始めるお昼前の時間に設定。ありがたいことに家から車で10分もしない近所のパソコン教室で試験を受けることができた。

パソコン教室に入ると、受付で農業検定を受験しにきた旨を伝え、担当者から試験についての説明をひと通り受ける。

不正防止のため、持ち物はすべて専用のバッグに入れる。

「ではコチラ、ご案内します」

と、楽しげなパソコン教室とは別の部屋、検定試験用の部屋に案内された。

簡素な事務机の上に置かれたパソコンのモニター。

左右はパーテーションで仕切られ、イメージとしてはマンガ喫茶の個室に近いものがある。とは言ってもなんとも殺風景な部屋。

???試験が終わるまでは、誰もこの部屋から出ることはできない。

ホラー映画のキャッチコピーのようなフレーズが頭をよぎり、そう思うと、緊張がどんどん膨らんでくる。

パソコンの画面上に問題文と選択肢が表示され、正解だと思うものをクリックしていく。

試験時間は70分。問題は全部で70問の140点満点。

正答率70%で合格。1問につき1分以内に答えを選び出さなければならない。

画面上にある『試験開始』ボタンをクリックすると、1問目の問題が表示され、それと同時に試験終了までのカウントダウンが始まる。画面の隅でちらちら動く、この“減っていく時間”がさらに緊張をあおり、焦りを生む。

1問目の問題文に目を通す。そこはやはり1級、最初の問題から何を言っているのか、何を答えて良いのか全く分からない。

過去3年分の過去問を解き、試験の傾向をつかみ、しっかり対策を練って臨んだつもりだったが、自信を持って答えられる問題などほとんどなかった。

その農業検定1級の結果が届いたわけだが、私の結果、140点満点中104点。

正答率74%。

ありがとうございます。ギリギリ合格しました。

(2021.03.05:コラム/遠藤洋次郎)

第18話 となりの畑は青い

 

インスタグラム(yojiroendoのアカウントで)やっています!フォローしてね。

仕事の写真、プライベートの写真なども載せているけれども、主に農作業の記録用として。

この時期に畑を耕した。種を蒔いた。去年の今ごろはこんな野菜を収穫していた。などなど、備忘録としての記録写真。もちろんインスタ映えという言葉があるように、

「美味しそうなトマトが採れました!」「丸々としてきれいなブドウです!」

「サツマイモがたくさん採れました!」「ズッキーニがこんなに大きくなりました!」

「どやっ!」という思いで載せているケースもある。

ハッシュタグに「農業」とつけると、新潟はもちろん、日本全国あちこちの農家の方が僕のインスタグラムをチェックし、イイネを押してくれる。

イイネを押してくれた人のインスタグラムをたどってみると、北海道のジャガイモ農家さん、群馬のレタス農家さん、愛媛や和歌山のミカン農家さん、鹿児島のサツマイモ農家さんと、その土地ならではの写真が掲載されていて、全国各地の農家さんの活動もうかがい知ることができる。

中には動画で種まきや収穫の技を紹介しているものもあり、その卓越した技術に思わず見入ってしまうことも。

そんな全国各地の農家さんの写真を眺めていていつも感じるのは、

「ここんちの畑、いい畑だな~」という思い。「隣の芝生は青い」ということわざがあるけれども、まさしく「隣の畑は青い」と感じてしまう嫉妬心だ。

別に自分とこの畑に引け目を感じているわけでもないのだけれども、遠く山並みを望む畑の風景や、広大な大地。丸々としていて真っ白なダイコンがズラッと並んだ写真に目を奪われ、「すげぇ~」と感心してしまうのだ。

そんな写真を見ながら学ぶことも多い。他の農家さんの作業風景を見て、自分の農作業にも生かしてみようと実践してみたこともたくさんある。

インスタグラムはいい教材にもなるしいい刺激にもなるし、SNS上での農家友達もできた。

最近のお気に入りは農作業をするお母さんや農家のお嫁さん、娘さんのインスタグラム。収穫した作物を手に、陽の光を浴びて満面の笑みを浮かべている。みんなキラキラしている。トラクターを操作する姿もカッコイイ。

今回のコラムの最後にどうでもいいことをカミングアウトしよう。

僕は“オーバーオール”や“サロペット”の似合う女性が好みのタイプです。

(2021.02.26:コラム/遠藤洋次郎)

第17話 ニヤケがとまらない!?

本当は1月中にやっておきたかったブドウの剪定に、先日ようやく着手した。

いよいよ2021年農作業シーズンのスタート!である。

秋の味覚の代名詞『ブドウ』銘柄は『巨峰』

ハウスには2本のブドウの木があり、農作業を始めるにあたってこのブドウの管理も手掛けるようになった。
先代が大切にしてきたブドウの木なのだが、正直なところ、ブドウ栽培のノウハウは全くわかっていない。冬の間に剪定をしなければならないことはわかっていたけれども、どのように枝を切っていのかもよくわからない。

しかも今年は雪が多く、ハウスへの道は閉ざされ、雪が解けてもあまりの寒さに、ハウスへ行くのもめんどくさくなっていた。

「やらなきゃ…やらなきゃ……」と思いながら1月が過ぎ、その間も一応、動画や本、ネットでブドウの栽培方法について勉強していたけれども。
それでも剪定の仕方はよくわかっていない。

そもそもなぜ、冬の間にブドウの枝を切っていかなければならないのかというと、前にもちょこっとコラムで書いたが、ブドウの木もジッとしているようで、実は花を咲かせ実をつけるための準備を冬の間にしている。

枝が伸びすぎていると、伸びた先の枝にまで養分を送らなければならないので、たくさんの養分が必要となる。枝が短いと、花を咲かせ実をつける養分をより多く供給することができる。つまり、みずみずしくて美味しいブドウの実をつけるには、冬の間に枝を切り落としておかなければならない。

剪定の仕方が良く分からないままはじめた昨年の剪定作業は、戸惑いやためらいも多く、多くの枝を残してしまったように思う。もちろんたくさんの実はついたし、おかげさまで味の評価も高かったのだけれども、実をつけすぎたと反省している。

なので、今年は思いっきって剪定してみた。

昨年と比べれば収穫の量は少なくなるかもしれない。でもその分、味の良いものをつくりたい。食べてくれた人が「美味しい」と思ってもらえるブドウをつくりたいと、農家としてのクリエイター魂に火がついた。

いくらで販売しようか?どうやって販売しようか?そんなことも考えながらの剪定作業。頭の中では「チャリンチャリン」とお金の落ちていく音が響く。顔のニヤケがとまらない。

いやいやそれは、ちゃんとブドウが育ってからの話であって……。

今年も秋に、無事にブドウが実をつけてくれることを心待ちにしている。

(2021.01.2.19:コラム/遠藤洋次郎)