第16話 簡単ペパーミント!

畑仕事を始めたばかりの頃、初心者でも簡単に育てられて手間もかからない、種を蒔いたらそのまま放置しても構わないような、そんな都合のいい野菜はないだろうかと探してみた。

ホームセンターの種コーナーに並んだ、さまざまな種。袋を見返すと育て方も載っている。

水はけのよい土で、土壌酸度はpH6~6.5。養分を漉きこんだ畑に、幅○センチの畝を立てて、不織布を覆い、害虫の対策は……ああ、もう何を言っているのか分からない!

求めているのは「種を蒔く」「水をやる」「育つ」の簡単な順序で手間暇かけずに楽しめるお野菜。ついでに言うならプランターでも育つ、超初心者向け簡単お野菜。

そんなに都合のいい野菜は見当たらなかったけど、その時手にしていたのはペパーミントの種。『プランターでも美味しいミントが簡単に収穫できます』といううたい文句に、「これだ!」と思い、土とプランターといっしょに種を買い、さっそく育ててみることに。

夢がふくらむ。

以前、バーテンダーさんから教えてもらった美味しいハイボールのつくり方。

ハイボールのジョッキに氷とウイスキー。炭酸水は氷に当たらないようゆっくり注ぐ。マドラーでかき回すときもグルグル回さずゆっくりと1回、2回…。最後に軽く手でたたいたミントを添えて爽快感をプラス。

「これだ。我が家でこれを実践するのだ。ああ、待ち遠しい。早く芽を出せペパーミント!」

やがてプランターからミントの小さな芽が出てきた。

この芽が出てくる瞬間はいつだってワクワクする。そして最高にうまいハイボールへの思いがより色濃くなってくる。

ペパーミントというものは繁殖力が強く、それゆえ、誰でも簡単に育てることができるのだが、我が家のプランターでも思いのほかたくさんのペパーミントが葉をつけた。

そぉっと漂ってくる爽快なミントの香り。一つつまんでみると指先からも爽やかな香りが漂ってくる。

ミントの葉を何枚か収穫し、待ちに待った一杯をつくる。できあがったハイボールは炭酸が勢いよくはじけ、自ら育てた摘みたてのミントの香りが鼻腔をくすぐる。のどが鳴る。

「ああ、幸せ~…この一杯を待っていたのだ。」

ペパーミントは大収穫だった。摘んでも摘んでもなくならないくらいに繁茂した。

だが、ハイボールに添えるくらいしかミントの使い道を考えつかなかった私は、その日、かるくボトルを空け、かるく意識も飛ばしていた。

(2020.02.12:コラム/遠藤洋次郎)

第15話 百姓ってのはどう?

「農業をする人」を意味する“百姓”という言葉は、差別的な表現で使われると言うことで放送禁止用語になっている。でもこれの言葉にはたくさん(百)の仕事(姓)という意味が込められている。姓(苗字)はもともとその人がどん仕事をしているのかを示す、肩書のようなものだった。

僕も「フリーアナウンサー」という肩書は掲げているけれども、勤めていたラジオ局がなくなってしまった手前、アナウンサーと言うのも少々はばかられる。

「で、最近ようじろうは何をしているの?」と、尋ねられることがある。一瞬言葉につまる。

WAVE CREATIONという会社の代表。声の仕事をしています。畑仕事も……。

「う~ん。結局自分は何をしているんだ?」と頭を抱えることもあったけど、

「最近の僕は“百姓”やってます」と答えてみようと心の中で準備している。

そう答えたところで相手は「???」という顔を浮かべるのも想像できるのだが…。

昔の人たちは畑仕事をしながら、空いた時間や冬の間にもいろいろな仕事をしていた。

大工や左官屋、畳屋。先生や医者もいたという。

自分の得意なこと、好きなことを生かして、生活の糧にしていた。

僕の近所を見回してみても、多くの農家は兼業農家だ。

本業をしっかりやりながら、田植えの時期や稲刈りの時期は休みを取って田んぼに出かける人もいる。僕も用水路の掃除をしたり、田植えの前にネズミ退治をしたり、人手が足りないからと言って稲刈りの手伝いに行ったこともある。

「うちは百姓だよ」という近所のおじさん。自分で農機具の修理もするし、風で吹き飛んだビニールハウスも直していた。もともと電気工事の仕事をしていたので手先が器用。困ったときには助けてもらっているし、とても尊敬している。

一つの道を究め、プロフェッショナルになるという思いも大切。

でも自分はいろんなことができる人になりたいな…と思う。

いろんな働き方があっていいと思うし、立派な肩書がなくっても、“百姓”をしていることは立派なことだ。

さてさて「自分は百姓だ」と言ってみたところで、自分のできることなどたかが知れている。

“百姓”と言うのならば自分のできること、できなくてもやってみたいことを100個あげようと思っても、悲しいかな、2個3個ぐらいしか書き出すことができない。

(2021.02.05:コラム/遠藤洋次郎)

第13話 目覚めの冬

コロナの影響もあってか、家でじっとしている時間が多くなった。

「ちゃんと自粛しているんだよ。うんうん」
と自分に言い聞かせているけれども、手帳を見ても、司会の仕事やセミナーの仕事、イベントの予定は書きこまれていない。
春に向けての農作業の準備を…と思っても、農閑期である。
畑を耕すわけにもいかないし、種を植えたり苗をつくるのにも、まだその時期じゃない。種カタログを眺めているといっても、ひねもすそんなことしてるわけにもいかない。
しかも寒くて布団から抜け出せない。
体を動かすのもメンドクサイし。
ああ、春が来るまで寝ていたい!

春に芽を出し、夏大きくなる野菜の種たちは、この寒い時期は何をしているのだろう?
ふと、そんなことを思って調べてみた。
種というものはよくできたもので、自分が芽を出す条件が整っていないとずっと寝ている。
水がなくても、酸素がなくても、種は種の状態でじっとしている。
『休眠状態』というのだが、この休眠というのは、種が生き、生長するために種自らが身につけた能力。

そして冬の間、気温の低い日が続くと、種はこの休眠状態から目覚める。そう。種を眠りから覚ますのは“寒さ”なのだ。

種A「いやぁ…寒いねぇ。起きた?」
種B「うん。起きた起きた。いや、ほんと寒いわ~」
種A「お前さんはいつ頃芽を出すんだい?」
種B「気温が20℃くらいになった頃がちょうどいいかな~」
種A「それくらいだと暖かくてちょうどいいね」
種B「その頃は春だね~」

寒い時期の種は、じっとしているように見えて実は目覚めている。
何もしていないように見えるけれども、種の中では来るべき時に向けての準備をしている。
来るべき時に、根を張り、芽を出し、花を咲かせ、実をつけるために。
そのために必要なのが“寒さ”なのである。
人間だってそうだ。ずっとぬくぬく生きてはいられない。
寒くてつらいと思える時期があるからこそ、成長していくのだ。

さあ、ようじろう、目覚めよ!今こそ布団から抜け出す時なのだ!

(2020.01.22:コラム/遠藤洋次郎)

第12話 シーズン前のワクワク

2021年の幕開けは、大雪に見舞われた新潟。

寒波の到来で風も強く吹き、ブドウの木が植えてあるビニールハウスのビニールが破れてしまいました。なんともトホホな新年のスタート。
そんな中でも、今年はどんな野菜を育ててみようか…と思いを膨らませている1月。

この時期は今年1年の『野菜作り計画』をざっくりと立てることにしている。
雪が解けたら耕運機を動かして土づくり。
畝をつくって、種を蒔いて。
そうそう、いろんな野菜の苗づくりも。
大好物のエダマメをたくさんつくりたい。
今年こそはトマトづくりを成功させたい。
珍しい野菜も作ってみたい。
実はこの、野菜作りのイメージを広げている時間がけっこう楽しい。

春の日差しを一身に浴びて、思いっきり土のにおいを嗅ぎ、日ごろの運動不足解消にと鍬をふるい、気持ちの良い汗をかく己の姿を想像する。
水やりや手入れはちょっとメンドクサイな…と思うけど、芽が出て、花が咲いて、実をつけて。採れたての野菜を口いっぱいにほおばる己の姿を想像する。
ほら、楽しそうでしょ?

突然話は変わるが、私の愛読書の一つに『選手名鑑』がある。

プロ野球、Jリーグ、高校野球、大学野球、箱根駅伝などなど。
スポーツ観戦に必携の選手名鑑は、毎年購入し、ひいきのチーム、注目の選手の情報を一つ一つ拾い上げていく。
いよいよ開幕するぞ!というその直前に、丸一日かけて選手名鑑を熟読しながら自分の気持ちを高めていく。ワクワクを募らせていくのだ。そして選手名鑑と同じように、この時期『種カタログ』を熟読している。

『トマト』だけでも大玉、中玉、ミニトマト。
真っ赤なトマトにオレンジ色のトマト。
甘みのあるもの酸味のあるもの。
トマト料理のレシピも紹介されていて、カタログに載っているトマトの種は30種類を超えている。

白いナス、紫色のオクラ、中が黄金色のハクサイ、黒い粒のトウモロコシ。カタログには見たことも食べたこともない野菜の種もずらりと並んでいる。

「どうやって育てるの?」
「どうやって食べるの?」
「そもそもこれ美味しいの?」

種カタログを見ているだけで、いろいろと好奇心が湧いてくる。

今年はどんな野菜たちとの出会いがあるのか。
また、畑仕事を通してどんな発見があるのか。
失敗することなど考えもしない、ようじろう農園シーズン前のこの時期は、1年で最もワクワクする時期である。

(2020.01.15:コラム/遠藤洋次郎)

第11話 環境って大事

一度耕すのをやめてしまった土は、なかなか元に戻らない。

ウチの農園も、何年も手入れをしないでそのままほったらかしにしていたところなので、土は固く、水はけも悪い。たっぷりと水を含んだ畑は、一度足を踏み入れると、なかなか抜け出すことができない。

雪道で車がスタックしてしまい、立ち往生している。新潟で暮らしているとそんな光景をよく見るが、僕も以前、耕運機が畑の中でスタックしてしまい、泣きそうな思いをしたことがある。
土の質を改善することは目下の課題。
畑は、土と水と空気のバランスが大切なのだ。
海沿いの畑でスイカの栽培が盛んなのは、水はけのよい砂地がスイカの栽培に適しているから。逆にレンコンなどは水の中で育つので、水持ちのよい畑が適している。

野菜の種類によって、それぞれ適した環境というのがある。
野菜たちがすくすくと大きくなる環境。それを整えていくことも、農家の皆さんにとって大事な役割なのだ。野菜たちはとても素直だ。

種を蒔かれた畑の環境によって、葉を青々と茂らせたり、きれいな花を咲かせたり、実が大きくなったりする。もちろん中にはへそを曲げる野菜もいるかもしれないが、農家さんは種まきの前に畑の土づくりにいそしむ。

そして野菜たちはとても寡黙だ。

「お腹がすいた!」「水をくれ!」といって泣きわめくこともないが、葉っぱが枯れてしまったり、実のつきかたが悪くなってしまったり。農家さんは寡黙な野菜たちが発するサインを見逃してはならない。

いやはや。本当に、環境って大事だなぁ。

固い土、水はけの悪いウチの畑の野菜たちは、みんなやんちゃに育っている。
やんちゃな野菜も確かにかわいいけれども、丸くて赤々とした美しいトマト、すらっと伸びた美白のダイコン、粒のつまった黄金色のトウモロコシもつくってみたい。
目指すは、野菜たちが元気にすくすくと大きくなれる環境づくり。

そして僕も、新潟というこの土地の環境にどっぷりはまって、すくすくと大きくなっている。
美味しいお米に野菜、お酒。名物料理や名産品がたくさん。

そんなもんだから、たっぷりと栄養を吸い込んで(横に)大きくなっている。

※遠藤洋次郎氏ではありません

(2020.01.05:コラム/遠藤洋次郎)

第10話 この冬の挑戦

ダイコンとハクサイの収穫を終え、冬野菜の収穫に向けての作業はひとまず終了。
今年もおかしなカタチのダイコン、虫いっぱいのハクサイが採れました。
それでも畑にはまだ、ニンジンやブロッコリー、ニンニク、タマネギ、キャベツが植わっているので、ひと冬こえて、春になって美味しくなるのをじっと待つことにしましょう。

さて、新潟も本格的な雪のシーズンが到来。

『晴耕雨読』という言葉があるように、晴れの日の畑仕事ははかどるけれども、雨や雪の日となると、正直、やることがなくなってしまう。
農家の皆さんは冬の間は何をしているんでしょうね?
もちろん、ビニールハウスで冬の間も美味しい野菜を育てている農家さんもいたり、切り干し大根や漬物を作ったりと、冬の寒さを利用して野菜を美味しく熟成させているところもあるようですが、私は時々畑に行って様子を見守ることくらいしかできていません。

以前、気になって「冬 農家 何してる?」でキーワード検索をしてみました。すると、出てきた結果には『晴耕雨読』『本を読んで勉強をする』なんてことが書いてある。

「そりゃそうだ!農閑期だからといってジッとしているわけにもいかない!」
そこで、足りない経験値は知識でカバーせねば!と思い、今年の1月『農業検定』なるものにチャレンジしてみました。

作物の育て方や野菜の特徴などはもちろん、『農業』と広く括れば環境問題や食糧問題などもかかわってくる。その辺の知識を問う検定試験。

「正しいものを選べ」「間違っているものを選べ」という選択問題で、これがクセあり、嫌らしさあり、制作者の性格を疑ってしまうほどの難問奇問が勢ぞろい。
気になる方は『農業検定』のホームページをのぞいてみてほしい。
過去問が紹介されています。

受験した3級、2級はなんとか無事合格。
なのでこの冬は1級にチャレンジ。
畑に行く時間が減った分、空いた時間にテキストを眺めながら過去問を解く日々。
さすがは1級。問題のクセと嫌らしさはさらに強さを増している。
問題文の意味すらもチンプンカンプン。
年齢とともに、脳内の記憶メモリも劣化しているし、処理能力も遅く答えが出てこない。

はてさて困った。
試験は再来週に控えている。(結果については後日改めて)

(2020.12.25:コラム/遠藤洋次郎)

第9話 はらぺこあおむし

幼い頃、絵本で読んだ「はらぺこあおむし」

リンゴを食べて、なしを食べて。
ソフトクリームやソーセージまでも。
お腹をこわしたはらぺこあおむしは、緑の葉を食べて…やがてさなぎになり、最後はチョウに変身する。

仕掛け絵本の丸い穴に指を突っ込んで遊んでいたあの頃。
鮮やかな色づかいとあおむしの丸い顔が可愛らしくて。
何度も読み返した僕の大好きな絵本の一つ。
そして今、はらぺこあおむしは、うちの畑にうじゃうじゃいる。
ハクサイやキャベツの葉っぱの奥。
野菜のお布団にくるまれて、寒さをしのいでいるのかな?
緑の葉っぱもたくさん食べて、どんどん大きくなっていく。
立派なチョウになって羽ばたいていくのかな?

そんなはらぺこあおむしを見つけては、つまんでポイッと放り投げる。
野菜作りにおいて、このはらぺこあおむしは敵である。
油断していると、キャベツはあっという間に完食されてしまう。

今年の夏、ポットに植えていたキャベツがようやく芽を出してきたところ、目を離していた隙にすべて食べられてしまった。
悲しいかな。葉脈の部分だけ残された幼いキャベツの葉は、すべての肉を失い骨のようになっていた。

多少の殺虫剤は散布するが、それでも生きるのびるあおむしはたくさんいる。
相手も生きるのに精いっぱい。でもこっちも美味しい野菜作りに常に格闘している。
チョウチョが飛び交う穏やかな田園風景。実はその中に、生き残りをかけた静かなサバイバルゲームが繰り広げられているのだ。
ただ、僕自身、あおむしのフォルムは嫌いじゃない。
むしろ「かわいい」と思ってしまう。
あの絵本の情景と重なるのか。
鮮やかな緑色で、ちょんと指先に乗せるともぞもぞ動き、びっくりして体を丸くする動作も見ていてかわいい。
農園の参加者はみな悲鳴を上げるが、僕はその姿を見つけると、思わず微笑んでしまう。

かわいいけど憎らしい。

キャベツを食べたあおむしはキャベツの味がするというが、さすがにそれをやってみる勇気はない。

(2020.12.18:コラム/遠藤洋次郎)

第8話 指先のにおい

最近の子どもたちは、泥だらけになって遊ぶことはあるのだろうか?

僕も、幼いころは泥だらけになって、膝にすり傷つくって、日が暮れるまで遊びまわっていた。昭和の頃の話である。
作業着を汚さないように、と注意しながら畑仕事をはじめても、結局のところ土がつく。
種もみも、虫もくっついてくる。
こうなるともう着ているものの汚れなどお構いなし。
あの頃のDNAが目を覚まし、土まみれになって鍬を振る。

びっしり汗をかいて、作業着を脱ぐと、作業着には汗のにおいといっしょに、土のにおいやお日様のにおいも染みこんでいる。
畑に行くと、あたりには独特の畑のにおいに包まれている。
鼻が曲がりそうなたい肥のにおいに包まれているときもあるし、果物の甘い香りが漂ってくることもある。
いろんな農作物の植えられた畝の間を歩くときに鼻をかすめる、野菜や果物の青々としたにおいは何ともすがすがしい。
光合成した新鮮な酸素が畑に充満していることも理由の一つかもしれない。

トマトを栽培するとき、「芽かき」という作業を行う。
トマトの実を大きくするために、不用な芽を取り去っていく。できれば伸びてきたばかりの新芽を指でつまんで取り除くのだが、この芽かきをしていると、指先からトマトの香りが漂ってくる。
トマトの甘みは実だけにあるのではなく、茎や芽にも備わっている。
新芽を摘んでいくたびに、指先を鼻に近づけると、指先がトマト味なのだ。

トマトだけに限らず、芽かきや間引きをしていると、その瞬間、ふわっと野菜の香りが鼻先をくすぐる。
そんな香りを嗅ぎながら、
「美味しくなってくれよ」
「大きな実をつけてくれよ」
と、それぞれの野菜の生長を見守っている。

先日、ニンニク畝の雑草取りをした。
ちいさなニンニクのかけらから芽が伸び、春になると花を咲かせる。
花が咲く前に茎を刈り取るのだが、この刈り取った茎も「ニンニクの芽」として香りやシャキシャキ感を楽しめる。
雑草を取りながらふと指先に鼻を近づけると、ほのかなニンニクのにおいが残っている。

思わずその指にむしゃぶりつきたくなる。

(2020.12.11:コラム/遠藤洋次郎)

第7話 忘我の境地

間引きの作業はなかなか好きになれないが、一連の畑仕事の中で好きなのは、耕運機をかけているとき。

ウチの農園では、夏野菜の収穫に向けて春に畑を耕す。
雪の季節が終わり、降りそそぐ陽射しが少しずつ暖かくなり、土も乾いてきた頃。雑草を刈って、鍬を動かし、そして耕運機を使って一気に耕す。
農園の土は固いので、何度か耕さなければならない。

ちなみに「耕す」。
新潟では「ぶつ」というらしい
なので、以後「耕す」ことを「ぶつ」と言うことにする。

耕運機の動くペースでゆっくり畑に入り、土をほじくり返していく。
ハンドルを操作し、端っこまでぶったら折り返して戻って来る。
この時間、完全に「忘我の境地」すなわち「アタマの中がカラッポ」なのだ。
悩んでいたことも、気にかけていたことも、今日の夕ご飯のことも、すべてが忘却の彼方に行ってしまい、魂は抜け、肉体はただ耕運機のハンドルを握るのみ。
もちろん、ハンドル操作を誤ってはいけないが、足元を見つめ、進むべき先を見つめ、ゆっくりと、慎重にぶっていく。耕運機が回るエンジンの振動も心地よい。

ぶっていきながら、立ちのぼる土のかおりを嗅ぐ。
このかおりを胸いっぱいに吸い込んでいく。
すると、心の中のモヤモヤも消え、すがすがしい気持ちに包まれる。
農園の土をぜんぶぶち終えたときの達成感もまた格別だ。

「ここにトマトを植えよう。」
「ここにはトウモロコシを植えてみよう。」
「エダマメの畝はここに作ろう。」
そんなことを思い描きながら、ぶち上げた土を見つめる。
(「ぶち上げる」という言葉があるのかどうかは知らない。)

同じ耕運機を使って畝づくりもする。
まっすぐに延びる畝をつくりたい。このとき、先の目標に向かって、ゆがまないよう慎重に耕運機を動かしていく。
邪念が入ると畝は曲がってしまう。
余計なことを考えると、ハンドルは右にとられ左にとられ、くねくねした畝になってしまう。
心を無に、アタマをカラッポに、ただ一心、畝をまっすぐ作ることに専念すればよい。

できあがった畝をぜひ見てほしい。だいぶ曲がっている。

(2020.12.04:コラム/遠藤洋次郎)

第6話 間引きの作業がイヤ

正直なところ、「間引き」の作業がイヤだ。

「間引き」とは、苗が密集して伸びてしまい、土の中で栄養の取り合いになるから、元気な苗だけを残し、ほかの苗を取り去っていく作業のこと。
今の時期は、ダイコンやカブ、ニンジン、チンゲンサイやホウレンソウといった作物を大きくするために、畑にいってはこの「間引き」の作業を行っている。

一つの苗を大きくするために、他の苗を犠牲にする。
心が痛むのだ。
こんな感情が湧きあがるのは、自分のこれまでの生い立ちが重なってくるから。やっと芽を出したのに。ここまで大きくなったのに。
もっと美味しくなるかもしれないのに…。
他の苗が、自分より少し元気がいいからって、なぜ自分が引っこ抜かれなきゃならないのか。

「不条理だ!納得いかない。僕だってこれからもっと大きくなる可能性を秘めている…もっと美味しくなるかもしれなっ…ギャアアアアアアアア!」

間引いた苗を手にすると、まだ伸びきっていない細くて白い根っこに、少しだけ土が残っている。細い根っこから栄養を吸って、生きよう、伸びようという思いがうかがえる。

「残念だが…僕の成長はここまでだ。残ったやつは、これからもっと大きくなる、もっと美味しくなる。やつのことを…頼む。ガクッ」

「なぁぁぁぁえぇぇぇぇぇぇぇ!」

そんなシーンを勝手に想像して、目頭を熱くしている。

農作業をしていても、人間世界と同様に、生き残るための「競争」というのはついてまわるものなのだと、しみじみ感じる。
僕自身これまでも、いろいろなところで間引かれてきた。
受験や就職試験、いろんなオーディション。
仕事も恋愛の経験も、「この人はダメ」といわれ放り投げだされることも多々あった。
それでも、今、この場所で根を張って生きているわけだから、人として大きく、美味しくなっている部分もあるんじゃないかな?

あと、午前中に間引いてきたチンゲンサイは、炒め物にして美味しくいただきました。

(2020.11.27:コラム/遠藤洋次郎)